金と銀
日本における金銀使用の歴史
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金と銀
古来、金銀はあらゆる装飾の中でも、最高のものとされてきた。
金銀の "煌きは善美の極致であり、”神に金銀を捧げる者は光明と栄光の人生を得る”(バラモン教聖典『リグ・ヴェーダ』)、あるいは”仏神は黄金であった”とされて天上の最高の存在に結びついてきた。
人類にとって金は太陽の落とし子、銀は月の落とし子であり、その輝きに対する憧憬は、数千年を経て今日でもなお不変である。
金は銅について古くから知られて金属であり、人類の文明の黎明期にはすでに、その燦然たる光沢をもって登場している。
日本における金銀銅使用の歴史
日本における金銀の歴史は、後漢の建武中元二年(西暦五七)に、倭の奴国(博多)が漢へ奉献朝賀の使を送り、光武帝から印綬を受けたことにはじまる(『後漢書』東夷伝)。
その後も倭の女王卑弥呼が、景初三年(二三九)奴婢や班布を魏に朝貢し、返礼として数々の織物・布帛・刀・銅鏡・真珠・鉛丹などともに、金八両を受けている(『魏志倭人伝』)。
 聖徳太子によって冠位十二階が制定されると(推古一一〈六○三〉)、「其の王初めて冠を制す、錦綵を以って之を為り、金銀を以って花を縷め飾りと為す」(『随書』倭国伝)とあり、『旧唐倭国日本伝』によると、「婦人の衣は鈍色、裳裾を長くして腰に襦をつけ、髪を後ろに束ね、銀花長さ八寸になるを佩ぶること、左右各々数枝なり、以って貴賎の等級を明らかにす」とさらに詳しくなっている。
 日本側の記録にも、推古一六年(六○八)に隋の使者を迎えた際、「このとき皇子・諸王・諸臣・悉くに金ぅ髻華(かんざし)をもって著頭にせり」(『日本書紀』)を、貴人・高官の正装に金が用いられた。
金銀はまず、冠位の象徴としての地位を与えられたのである。中国で金銀が盛んに用いられるようになった殷代の遺跡からは数片の金葉(金箔)が出土しており、天延技法の高度な発達をうかがわせるものである。
 日本においても飛鳥大仏以降、仏像はすべて金銅仏か、あるいは金箔をおき熱して固着させる”金着せ”であった。特に金箔についていえば、法隆寺金堂の四天王像(七世紀中葉)の衣分装飾に、金箔が切金文様の形で使用されている。
また、高松塚古墳壁画(七世紀後半〜八世紀初期)でも。東壁の日輪、西壁の月輪に金銀箔が、天井の星宿群にも径九ミリの小型金箔が貼り付けられており、箔押しをともなった絵画の初例といわれている。
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