日本における織物の歴史
西陣織の名前の由来
紙の発明、そして京都西陣へ
金銀糸 織物の歴史 紙の発明 西陣
日本における織物の歴史
日本における織物の歴史は、平安期以前に秦氏が京都・山城の地を開拓し養蚕技術をもたらしたのが始まりとされています。大宝令の制定で、錦、綾、羅、紬の製織を管理する織部司が置かれ、以降西陣織りは宮廷文化を中心に時の権力者の庇護を受けながら織文化を発展させました。
西陣織の名前の由来
西陣の名称は今から約500年前の応仁の乱(1467〜77)の時に、市街北西部にある船岡山に西軍の本陣が置かれたことに由来し、今日、西陣と呼ばれる地域は、行政区域としては特別になく、西陣織に携わる業者がいる地域で、京都市北区、上京区のあたり(地図参照)を指します。
紙の発明そして京都西陣へ

紙の発明は文明のざまざまな分野に大きな発展をもたらした。エジプトのパピルスをはじめ、植物の繊維を利用して、紙にすることは古くから行なわれていたが、三千年近い年月の後にようやく、これを素材として紙に漉く製法が確立されたのである。
 紙に関してみると、京都には王朝以来の紙屋院(紙屋川沿いの官営紙漉き工場)の伝統があるが、『毛吹草』の当時は、西洞院高辻辺りにはまだ紙漉き職人が集住し紙を漉いている。
 元禄期の末になると、“名塩の泥入り鳥の子”(兵庫県)が創始され、特に五色の泥を入れた“五色鳥の子紙”は耐熱性があり最もすぐれた箔打紙として全国に知られるようになった。
 近江の桐生では越前の紙法に、この名塩の紙法をとり入れて改良し(元文〜寛保年間<一七三六〜四四)、江州雁皮紙をつくり出すのである。これは近江鳥の子ともいわれ、雁紙を原料とした薄手で表面は緻密優雅、泥入りによって害虫にも強く防湿性にもすぐれ、耐久性に富む最高品とされている。その光沢は金銀箔の原料として、大消費地である京都西陣と結びつき繁栄をみせるのである。
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